青い掟 -Another Side-
合同誌『color』に寄稿した小説『青い掟』のAnother Side のストーリー。
本編でフィン視点で描かれた場面。
アイラは何を感じて、何を思っていたのか……。
本編『青い掟』読了後に読むことを想定していますが、
こちらを読んでから本編をお読みになるのでもOkだと思っております。
目安時間:episode.1は6-7分程度、episode.2は3-4分程度
episode.1 傷の手当
◆◆◆
(『color』本編より)
アイラとオイフェは、シャナンを部屋に運んだ。そのままオイフェが付き添ってくれる。
アイラは道具を揃え、フィンの部屋に向かった。扉を三回たたく。
「申し訳ありません、わざわざ……」
「いや、これは私たちの落ち度だ。申し訳なかった」
アイラは部屋に入ると、軟膏や清潔な包帯、はさみなどの道具を並べた。
「フィン殿、服を」
「?」
「手当をするから、傷口を見せてくれ」
◆◆◆
傷は脇腹だったと思う。彼は少し考えているようなそぶりをした後、
「……わかりました」
そう答えた。訓練服をたくし上げようとして、顔を少し歪めている。視界の端に彼の姿を映したまま、その気配だけを感じながら、テーブルの道具を並べ直す。彼の準備が整うのを待った。
すると、フィン殿は大きく動いて。
「……っ」
痛みに耐えるような吐息とともに、上半身にまとっていた破けた訓練服を丸ごと脱いで、ベッドに腰かけた。
私は手に持っていた軟膏を慌てて掴みなおした。一瞬、落としそうになったのだ。……動揺しているかもしれない。まさか全て脱がないと見えない場所とは思っていなかった。
落ち着け、落ち着け。
そうだ傷。傷は。
一見、浅そうにみえるが、血がにじんでいる。
「……やはり薬が必要だな」
なんとか冷静を装って彼の傍に近づいた。今まで気づかなかった。割と細身に見えていたが、肩の筋肉がとても大きく鍛えられていた。
あの長い槍を、あの速度で扱っているのだものな。
私は指に軟膏をとって、彼の傷口の傍に手を添えた。硬い腹筋だった。私は自分の顔が火照るのを感じ、自制のため軽く息を吸い込んでから、傷口に軟膏を置いていく。ぴくっと彼が動いた。
「沁みるか?すまない」
「いえ、大丈夫です」
大丈夫とは言うもののやはり痛むようで、彼は少し深く息を吸って、長く息を吐いた。その息は私の頬と耳をくすぐった。頭に血が上る。顔が熱い。軟膏を塗り終えた私は、そこから逃げるように包帯を取りにテーブルに向かった。
「そこまでしていただかなくても……」
自分の傷は浅いから、と言いたいのだろう。しかし服に擦れると顔を歪めるほどの傷だ。最初は保護しておいたほうがいい。
「恩には、報いる。それがイザークの戦士の掟だ」
私は包帯の端を口にくわえてピンと張り、傷口の辺りから巻き始めた。少しずつ、真っ直ぐ、しっかり張って傷口を覆っていく。背中に、腰に、腹に。私の両手が彼に貼り付いて、彼の熱を感じている。……違う。包帯を。包帯を巻いていく。 その引き締まった肉体にぴったりと巻き付けていく。
私から一番遠く、私の腕を伸ばしきったところを巻こうとして。突然、彼の素肌から熱を感じた。気づけば私の唇が、彼の肌に触れそうになるほど近い。包帯をくわえた唇が、じりじりと熱くなってきた。
唇で触れたら……、もっと熱いんだろうか。
どれくらい……?どれくらい熱い?
だめだ、落ち着け、落ち着け……!
どくんどくんと全身が心臓になって、全然言うことを聞かない。とにかく今は、集中して包帯を巻き続けるんだ。そう自分に言い聞かせる。一周、二周……。彼の素肌がどんどん熱く感じて。それに触れる自分の手も、どんどん熱を持ってきて。……いや、集中、集中だ。
なんとか巻き終わって、くわえていた包帯を手に取り、端を結び留めた。
「これで。……よし。……終わったぞ」
なんとか終わった。彼の傍を、離れなければ。私は道具を手に取り、片付けていく。気になって彼をそっと見ると、私の巻いた包帯を触って確認しているようだ。どう思ってくれているんだろう……。
「……ありがとう、ございます。……上手いものですね」
安堵のため息が小さく漏れて、慌てて言葉に変える。
「ああ……。昔、兄上のケガも手当したりしたからな。割と慣れているんだ」
少し気恥ずかしくて目をそらすと、先ほどまで見えていなかったものが目についた。ベットの上に畳んである、彼の訓練服だ。破けているはずだ。あれくらいの綻びなら、私でも縫えるだろう。持ち帰って、縫ってこよう。
私は進み出て、手を伸ばす。
手を置こうとした瞬間、彼の手が訓練服を掴んだ。
本当に僅差だった。
気が付いた時には、もう、自分の手の動きを止めることはできなかった。
私の手は、そのまま。
フィン殿の手の甲に、重なった。
熱い。
指の関節がごつごつして、硬い。
……そうじゃない。そうじゃなくて……
「……フィン殿?」
「……服を、着ます」
「破れているだろう、私に縫わせてほしい」
「そこまで手を煩わせるわけには参りません」
「シャナンが破いたものだ」
「私が躱しきれなかっただけですから」
「しかし……」
「……傷の手当を、していただきました」
「それは、当然のことだ。縫うのは、訓練に付き合ってくれた礼だ」
「……」
フィン殿は二の句が継げないようだ。私は押し切ろうともう一言、付け加えた。
「恩には報いる。それがイザークの戦士の掟なんだ」
フィン殿は観念したように、服を持ち上げて両手でこちらに渡してくれる。
「……わかりました。では、お願いいたします」
「ああ、任せてくれ。フィン殿」
フィン殿は何かに気が付いて、考えている様子だった。少し間があって、すうっと息を吸った彼は、改まった声色で続けた。
「アイラ殿。私のことは、どうぞフィンと呼んでください。あなたはイザークの王妹であられるのですから」
私は浮かれていた自分を恥じた。イザーク、私の国。父上、兄上……。おそらく故郷はグランベルに侵略されたまま、滅亡していく。国がないのに王など、まして王妹など……。
「アイラ殿。シャナン王子がいる限り、イザークは。剣聖オードの血は、そこにあります」
真っ直ぐな瞳が、言葉が、光速の槍の一突きのように。
曇って腐ってしまいそうな私の心を貫いた。
「ありがとう、……フィン」
素直な言葉が出る。
「キュアン殿が羨ましいな。このように真っ直ぐに具申してくれる者が傍にいる」
「アイラ殿もどうぞ、なんでもお申し付けください。我が主君キュアンも、何かあれば私にと申していたではありませんか」
私はとても嬉しかった。彼は見習いと言っていたが、これが清く気高いレンスターの騎士なのだと思った。気が付いたら訓練服を抱きしめていて、恥ずかしくなり思わず口元を抑えた。
「……必ず解決できるかはわかりません。でも……、例えば、恩に報いるのがイザークの戦士の掟なら、あなたの困りごとを必ず聞いて、できるだけ取り除いて差し上げることが、あなたと私の間の掟、と……」
彼はそこまで言って、頭をかいて俯いてしまった。
「いえ……少し、恰好をつけすぎましたね」
私を思いやってくれているのがわかる。その気持ちに、思わず笑みがこぼれた。素直な気持ちが、とても嬉しかった。
「ふふ、ありがとう。フィン。では一つ、早速きいてくれないだろうか」
「なんなりと」
「私のことも、どうぞアイラと呼んでほしい」
「それは……」
彼の明らかに困った表情。少しだけ意地悪をしてみたくなる。
「どうした?私たちの掟ではなかったのか?」
彼はうつむいて、少し間をおいてから、
「わかりました。……アイラ。その……服を、頼みます」
「……ああ、任せろ」
そう言って、道具ひとまとめと訓練服を抱き、彼の部屋を出た。
ドアを閉めた瞬間、心臓がどれだけ高鳴っていたかを知る。それに気が付いたら、また。頭に血が上る感覚があって、顔が熱くなって。思わず持っていた訓練服に顔を埋めたら、まるで彼に抱きしめられているかのようで。居てもたってもいられず、私は逃げるようにその場を立ち去った。
◆◆◆
episode.2 お守り代わり
◆◆◆
(『color』本編より)
その日は突然やってきた。
シグルドとエルトシャンとの約束から半年。一年を待たずにマディノ城のシャガールが兵力を整え、王都アグスティ奪還のために進軍してきたのである。グランベル、バーハラからの下命は、アグスティの死守だった。
民衆に敵とみなされ居心地は良くないとはいえ、平時を過ごしていたアグスティのシグルド軍は、俄かに慌ただしくなった。地理の確認、周辺民家や賊の状況把握、武器庫からの運搬、食料の調達……。普段から備えはしているとはいえ、戦闘前はやることは沢山ある。軍の全員がそれぞれの役割をこなしていく。
馬の確認を終えたフィンの脳裏に、漠然とした不安がよぎった。シャガールが挙兵するとなると、エルトシャン率いるクロスナイツが出兵してくる可能性が高いのではないか。キュアンから彼の持つ神器ミストルティンについて訊かされていたフィンは、最前線に立つことが多いアイラが心配になった。居てもたってもいられず、戦準備の喧騒の中、アイラが担当していた武器庫に向かって駆け出していた。
◆◆◆
「アイラ!」
突然の大声に、私は驚いてびくっと体が反応した。
武器庫のドアを開けるなり大声で名前を呼んだのは、フィンだった。彼は息を切らしている。相当急いでここまで来たことが分かった。
「フィン!?敵襲か!?」
フィンは答えず、少しうつむき加減でズンズンと武器庫に中に入ってくる。迫力に飲まれて、私は後ずさりした。
後ずさりより彼の進むスピードが速くて。正面すぐ近くまで来た彼は腕を私の首の後ろに回した。
「な……」
何をするんだと言いたいのに言葉が出なかった。数秒後、彼は腕を解き、一歩下がって。胸に手を当て、頭を下げた。
「どうか、あなたに……聖戦士の御加護がありますように」
私のために、祈ってくれている?今、彼は何をした?
私は違和感を確かめに胸元に手をやった。硬くて冷たい、小さな金属の塊が私の胸の前に下がっている。掬いあげると、しゃらと音がした。これは、ペンダント……。フィンが、私に?
彼は顔を上げ、私を真っ直ぐに見て、言った。
「お守り代わりです。シャガール王の下には、まだエルトシャン殿のクロスナイツが居ます。アイラ。どうか、無事でいてください」
私に、これを渡すために。
そんなに息を切らして、急いできてくれたのか?
私の無事を祈るために……。
私はペンダントを握りしめた。
彼の祈りを、思いを、手のひらから全部吸い上げた。
手を開いてペンダントをよく見てみると、美しい装飾が施されていた。
フィンが、私のために。
……私ができることは、無事でいること。
そして、今この時にできることは、彼の無事を祈ることだ。
「……ありがとう、フィン。あなたもどうか、どうか無事で」
そう呟いて、私はペンダントに口づけをした。
「あっ……」
彼の声がして、なんだか恥ずかしくなってしまった。
でも、気持ちは伝えたい。あなたも無事でいてほしいから……
「……お守り代わりだ」
そう、お守り代わり……。
いざ伝えると今度はなぜだか切なくなって、胸が苦しかった。
突然。彼は私を抱きしめた。私は胸が押しつぶされそうだった。どうしようもなく幸せな気持ちや、彼の無事を祈る気持ち……、沢山の気持ちがあふれてきて。どこまでも彼を近くに感じたくて、彼の背中に手を回して精いっぱい抱きしめた。
「無事でいて、フィン」
「アイラも、無事で。……私は、あなたが……」
そこで彼は、口をつぐんだ。続きを言うべきか、迷っているようだった。私の耳元で、彼が息を吸い込むのがわかる。くすぐったい。
「……あなたに……。生きていてほしいんです」
本当に言いたいことを、今は言わない。
今、言うべきではないと思ったのだな、と私は悟った。
でも、続きを聞きたい気持ちがある。
でも、彼は、今は言わない。
いつなら?いつなら言ってくれる?
「生きていたら、生き延びたら……」
「はい、きっと。先ほどの続きを、お伝えします」
「……わかった。きっとだ」
こんなに素直になったことは、もしかしたら無かったかもしれない。
「もし、聴けなければ……。私は、困る……」
いろんな思いが溢れる。
その思いはきっとすべて、彼に筒抜けだ。
私の顔を見れば、きっと全部書いてある。
「……それは、私たちの掟に反しますね。必ず生きて、お伝えします」
私は、今、わかった。
私は、彼に。恋をしている。
◆◆◆
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